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そろそろ梅雨も明けようとしています。また暑い夏がやってきてお盆の季節となりました。

長い梅雨と大雨で土砂崩れ等の被害が出ているようです。特に九州では大勢の方々が亡くなりました。被災者の皆様、また、関係各位の皆様方には心よりお見舞い申し上げます。

さて、本堂が完成して初めてのお盆となる今年、お寺の一大行事であります『施食会(おせがき)』が執り行われます。以前に比べ倍以上の広さとなった本堂の飾り付けや、掃除等に戸惑っている毎日であります。

本年のおせがきは、ちょうど日曜日となり、皆様もお参りするのにちょうど良いと思いますので、どうぞふるってご参列ください。また、同日、遅くなってしまいましたが『護持会』の総会も執り行われますのでよろしくお願い致します。

これから夏本番です。皆様もお体に十分お気をつけになってお過ごしください。


「布施」と聞いて皆さんはどのように思いますか?「お寺に持っていく「お金」とか、「お坊さんに渡すお金」でしょうか。

「布施」と言うのは立派な修行の一つです。『布施行』と言って本来は、何も見返を求めないものです。つまり、布施をした時点では自分には何も徳が無いのです。また、求めてはならないのです。しかし、その徳は必ず何処かで巡ってきます。

では、布施とは一体どの位で良いのでしょうか、沢山?それとも少し?また、どのような物が適しているのでしょう、お金?品物?布施と言うのはその時に自分がしてあげられる精一杯の功徳です。

他人に良かれと思ってする事に物の大小やその物が何であるかなど関係ありません。そのときの思いやりの心が大事なのです。お返しを期待しない素直な心です。

『一円』でも布施、または、『教え』も布施。この世の中は『布施』によって成り立っています。この心が無ければもっと殺伐とした世の中になってしまうでしょう。

日ごろ皆さんは良い布施行を積まれていることと思います。その心を大切にし、後の世代へとつなげて行く事が私たちの使命ではないでしょうか?これも立派な布施行だと思います。

曹洞宗の教義と言われるお経の中に『修証義(しゅしょうぎ)』と言うお経があります。その中でもこの布施について述べられています。

ぜひ一度読んでみてください。



其布施(そのふせ)といふは貧ら(むさぼら)ざるなり、我物(わがもの)に非ざれども布施を障へざる(さへざる)道理あり

其物の軽き(そのもののかろき)を嫌はず、其功(そのこう)の実(じつ)なるべきなり、然(しか)あれば則(すなわ)ち一句一褐(いっくいちげ)の法をも布施すべし、此生佗生(ししょうたしょう)の善種(ぜんしゅ)となる、

一銭一草(いっせんいっそう)の財(たから)をも布施すべし、此世佗世(しせたせ)の善根(ぜんこん)を兆す(きざす)、法も財(たから)なるべし、財も法なるべし、

但彼(ただかれ)が報謝(ほうしゃ)を貧らず、自ら(みずから)が力を頒(わか)つなり、舟を置き橋を渡すも布施の檀度(だんど)なり、治生産業固(ちしょうさんぎょうもと)より布施に非ざる(あらざる)こと無し。


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宗教法人養福寺 2003/8